永遠じゃないんだよ

最近思うのだけれど

私、

基本的には

10歳かそこらの頃から

考え方・感じ方・物の見方が

全く変わっていない。

そりゃもういいお年頃だから

それなりの社会性ってやつは

身についているのだけれど…(笑)

 

初めて『死』を考えたのが

10歳くらいの頃。

8歳の時に鶴見から

今の実家がある上永谷

引っ越したのだけれど、

ちょっと言葉悪いけれど

田舎の人は閉鎖的で、

鶴見にいた頃のちょっとおしゃまで

快活だった私は

上永谷ではいじめられっ子になった。

今のいじめみたいに陰湿じゃなくても

50年前はいじめの認識ってやつも

大人達は持っていなくて

いじめる側ではなくて

問題はいじめられる側に

あると思っていた。

事実私の母は

「だってあなたが鈍臭いからでしょ」

と言ってのけた位だ。

私はAと言う男の子の

いじめのターゲットにされて

本当毎日毎日泣いていた。

辛くて悲しくて

私自身が死ぬか

Aを殺すしかないとまで

考えていた。

『物事の深淵を覗くとき

その悪の部分に引き摺り込まれないよう

注意すべきだ』

みたいなことを言っていたのは

ニーチェだっけ…忘れちゃったけど(笑)

幸か不幸か私には

死を選ぶ勇気がなかったし

相手を殺して犯罪者に

なる覚悟もなかった。

なので今もこうして

薄らぼんやりしながらも

自由に生きている。

ある意味『弱虫』な自分に

感謝しかない。

 

どんな人でも

生きているのが

辛いときって絶対あるよね。

でもそれは永遠じゃない。

夜の闇が深いほど

夜明けが近いって言うじゃん。

沢山憎んで

沢山泣いたら

同じくらい

沢山幸せで

沢山笑えると

私は信じている。

なので

背筋を伸ばして

前を向いて生きて行こうと

私自身の覚え書きみたいな感じで。

 

 

 

追記:①で、件のA であるが…私の弟と同じ高校でおまけに部活の先輩になった。

弟によく「お前の家のブス何してる」と絡んでいたようだ。

20歳の頃に街中で偶然会った時もしっかり「よう、ブス」と挨拶された。

(ただしその頃はもう今の強い私になっていたが)

後々わかったのだが…Aは私が好きだったらしい(笑)私は嫌いだが。

②母だが…忌憚なく言わせて貰えば、今流行りの『毒親』の走りだ。

母は無意識に平気で私を傷付ける言動をしていた。

最初の離婚をするまでは、母に愛されようと努力したが

まあそれが無駄な努力だとわかってから…

ええ、私は人でなしの数年を送りましたとさ(笑)

今はちょうど良い距離感を保っていると思う、私の努力で(爆笑)