生活設計は大事

今日は

年金事務所まで

遺族厚生年金の申請に行ってきた。

私の場合は65さいまでは

寡婦加算もあって

想像よりは見込み額が多くなった。

ありがたいね〜。

でもね…

支払われる迄に

約2ヶ月〜3ヶ月くらいかかるって

どうなんだろうか。

同時に私の年金も

厚生年金→国民年金へと

切り替えてきた。

60歳まで1年半くらい。

残りが短くて良かった(笑)

年金、

支払いはのんびりでも

徴収は迅速なのね。

10月分〜来年3月分迄の納付書

即日発行してくれたわ。

(ちなみに早速支払ってきたわ、私)

 

ここ数日、

1ヶ月にどのくらいのお金が動くのか

計算をしている。

光熱費がどのくらいになるのかが

今ひとつ不明なのだが

まあ今までよりは安くなるだろう。

食費も少なくなる。

犬3匹もいるから

そこにはお金がかかるけれど

(トリミング出さないといけないからね)

こればかりは仕方ない。

目標としては

1ヶ月10万円で暮らす事。

夫が家を残してくれたから

『家賃』が発生しないのは

この先私1人で生きて行くのに

とてもありがたい。

寡婦加算が有るうちに

出来るだけ貯金をしようと思う。

 

年金とは違って

医療保険の保険金が

今日入金されていた。

請求書を投函したのは

今週の火曜。

終身の方の死亡保険金は

まだだけれど

これは金額も違うし

きちんと精査するからね。

来週あたりに入金されるのかな。

 

夫が残してくれたもの

大切にして生きて行こう。

節約はゲームだと思えば

結構楽しくできると思う。

さあ頑張ろうっと(笑)

そうか、もういないんだ…

この1年、

入院している時を除いて

夫はずっと家に居た。

 

私が仕事に行く時

「行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい。

気を付けるんだよ」

 

天気が悪い日は

「(車で)送って行くよ。

帰りは迎えに行くから

仕事終わったら電話して」

 

帰宅したら

「ただいま」

「お帰り、お疲れ」

 

何気ない、

本当に何気ない普通の会話。

 

「ただいま」

今はそう言っても

聞き慣れた声の

「お帰り」は聞こえない。

 

ああ、そうか

もういないんだ。

夫はもう

ここにはいないんだ…

 

淋しいな

哀しいな

それでも私は

笑っていなくちゃダメなんだ。

だけど

涙はとめどなく流れてくる。

もう仕方ないよね、

それは…

普通の生活

今週から仕事再開。

私はパートなので

半年毎に契約更新している。

(でも今の会社に勤続10年なのよね)

で、チーフと面談。

夫が亡くなって

私の生活環境も変わったから

まあその辺りも含めてのお話し合い。

ありがたいことに会社的には

『仕事続けてくれてありがとう』的な感じ。

私の方も

『雇い続けてくれてありがとう』だわ。

幸か不幸か

夫はサラリーマンで尚且つ

病気療養中とは言え

現役のまま亡くなった。

なので当然

遺族厚生年金と

65歳になるまでは寡婦加算が支払われる。

家のローンも団診で終了する。

生命保険金もちょっぴりだけど入る。

(まあ相続で持っていかれるんだろうけどね)
後は死亡退職金ってやつも

出るかも知れない。

なので馬鹿みたいに贅沢しなければ

私と犬3匹は

今まで通り暮らしていける。

ありがたい事だ。

 

立冬も過ぎて

風の冷たさが増した様に思う。

今日の夕飯はカレーうどん

私は基本的に食いしん坊だから

料理を作るのが好きだ。

だから1人になっても

極力自炊をする。

私が食べたいもの、

夫が好きだったものを

ニヤニヤしながら作る…

それもまた楽しい。

こうして普通の生活を

積み重ねて行く。

多分それが1番

夫を安心させるんじゃないかな…

 

みんなありがとう

今の家に住んで10年。

悲しいかな私は

コミュ障気味な女で

ご近所付き合いが苦手。

一方夫は

見た目からは想像できないが

(ごめんね、夫)

非常にお付き合い上手。

 

夫はご近所のご主人たちと

仲良くさせていただいた。

お向かいのYさんのご主人に

夫が亡くなった事を伝えた時

Yさんは、

大きな声をあげて泣いてくださった。

県警にお勤めの

大きな男の人が声をあげて

泣いてくださった。

夫へと

香炉とお線香を下さった。

お子さんたちは2人は

夫へとお手紙を書いて下さった。

 

2軒お隣のOさんのご主人も

静かに涙を流して下さった。

 

みなさん口々に

何かあったら言って下さい。

力になります。

そう私に言って下さった。

 

私のパート先の仲良し

いつもの女子会メンバーの

Oちゃん・Kちゃん・Mちゃんも

今日お線香をあげに来てくれた。

 

本当にみんなありがとう

感謝しかない。

そして誰よりも…

夫、本当に本当にありがとう。

あなたのおかげで

私はこれからも頑張って生きていける。

 

予感

9月9日に

救急車を呼んで

夫を入院させ

主治医から

合併症で『肝性脳症』を

発症したと聞いた時から

私の中では

もしかするとある種の覚悟みたいなものは

あったのかもしれないと

今になって思う。

変な話、

今年の年末は自宅で過ごせても

来年はどうなのかなぁと思っていた。

ネットで

肝性脳症の事や

治療法、余命なんてものを

調べていた。

当然夫が亡くなった時

何をしなければいけないかも…

 

9月25日、

退院した夫は

「トンカツが食べたいな」

そう言ってよく通っていた

トンカツ屋さんで昼食を取った。

それからは

私の仕事が休みのたびに

2人で出かけた。

吉田うどんを食べに行ったり

箱根や小田原

横浜中華街…

ジョンP・小鉄・麦はお留守番で

2人でデートみたいな感じで。

 

TVも新しくした。

電子レンジも新しくした。

掃除機だって新しくした。

10月26日まで

夫は車やバイクのメンテナンスをして

いつもは

「疲れたから明日片付ける」

なんて言っていた

バイク小屋の後片付けも

その日のうちにしていた。

 

予感がしたのかも知れないね。

そして

この先私が困らないように

全てキチンとしておいてくれたのかもね…

ああ、

本当にいい男と一緒にいたな。

私は幸せ者だ。

しばし我慢を…(笑)

暖かくって良いお天気。

本日無事に

夫を天国へ送った。

このご時世、

ささやかな家族葬にするつもりが

夫の会社の方々や業者さんが

来てくださった。

感謝と共に

夫が仕事で信頼され

評価されていたんだなと

少し誇らしく思えた。

 

納骨まで御遺骨は

我が家に…

もう病気じゃないから

夫の好きだったものを備える。

まあ、アルコールは無いから

ノンアルコールビール

勘弁してもらおう。

 

遺影の夫は笑顔。

お見送りをした

私たちも笑顔。

良い葬儀だった…

だってなかなか無いでしょ、

最初の妻と

最後の妻が

笑いながら

夫の思い出話をして

見送るなんて…

 

 

それでも生きていく

10月30日

午後6時55分

夫が亡くなった。

27日に救急車で運ばれ

30日の朝容体が急変して

ICUに移動

本当にあっという間に

逝ってしまった。

夫と交わした最後の会話は

私が病室に泊まった29日の夜。

「どこか痛いの?」

「全部痛い」

もう、どこも痛くないよね。

 

昨年の末から具合が悪くなって

この1年、

入退院を繰り返していた。

それでも仕事に復帰する事を目標にして

本当に頑張って節制をしていた。

腹水が溜まっていたけれど

仕事用の作業ズボンが履けた時は

凄く嬉しそうだった。

 

25日迄は車も運転していたのに

26日には大好きなバイクの

メンテナンスもしていたのに

なんでこんなに急いで

桃太のところにいっちゃたのかな…

 

これから

やらなくっちゃいけないことが

山ほどある。

私は人前で泣くのが

好きじゃないから

お風呂に入っている時に

こっそり泣こうと思う。

ジョンP・小鉄・麦も

かあちゃんが泣いていると

心配するからね。

 

この先

大変なことがあっても

私は前を向いて

頑張って生きていくよ。

夫の分も

色々なものを見聞して

いつか夫の元に行ったら

たくさん土産話をするんだ。

そうして2人で

笑いながらお酒を飲むんだ。

だから…

私は前を向いて

これからも生きていく。