宗教は救いなのか

地下鉄サリン事件から

今日で23年経った。

あの当時、

私の弟は箱崎のホテルに勤務していて

自宅(当時は親と別居で都内在住)から

地下鉄を使って通勤していた。

そう、該当となる時間の

該当となる路線一つを使って…。

あの日はたまたま

普段より1本早い電車に乗っていた。

本当偶然に駅に早く着いて

1本早い電車に乗れた、ただそれだけ。

 

その何年か前。

私は代官山の編集プロダクションで

事務のお手伝いをしていた。

ある日ランチに出たら

白装束に象の帽子をかぶった

オウム真理教の一団に出くわした。

そう、彼等が『真理党』なるものを立ち上げ

国政に打って出ようとしていた時期。

滑稽と言うより

どこか狂信的で空恐ろしい感じだった。

 

宗教と言うものは

そのスタートは『救済』である。

これは仏教やキリスト教イスラム

そして数多の新興宗教もそうであるはずだ。

けれども現代において

宗教は最早救済ではなくなってきているのではないか。

救済ではなく

紛争や権力闘争の元になってはいないだろうか。

中東の国々では

宗教故に権力を堅持し

旧共産圏では宗教を弾圧した。

 

私、思うんだけれど

神さまっていうのは

ひとりひとりがその心の中に

抱いていればいいんじゃないのかな。

誰かに信仰告白する必要も無いし

誰かに信仰を押し付ける必要も無い。

それが宗教…

っていうか信仰の本来あるべき姿じゃ無いのかな。

 

「触らぬ神に祟りなし」

うん、昔の人は的確なこと言うね〜。